なんば駅周辺レポート13 千日前 -南海高野線沿いを行く-

今日は千日前に参りましょう。南海なんば駅の周辺は繁華街ですから、たくさんの商店街から成り立っていることはご承知ですわな。この千日前も一大歓楽街ミナミを形成する一員でございます。
千日前南口
写真向かって右手が吉本のなんばグランド花月、写っていませんが左手にワッハ上方(上方演芸資料館)がございます。写真の後は道具屋筋でございます。そして、本日取り上げる千日前はこの写真の奥、黄色いの見えます?あれが千日前のアーケードの屋根の部分です。
千日前2
そちら、つまり北へ向かってまいりますと、こんな感じの商店街になります。ま、ごく普通の商店街ですな。言うとくべきことは、写真左上の方にカラオケていう看板あるとこらに千日堂という、それはそれは有名なレストランがあったことかな。俺のツレはその横(写真の左手前の黄色い店)が、これまた有名なウナギ屋やった言うてましたわ。千日堂は以前記事にしたと思います。料理の味より歌が有名やった😀 この通りの名前は、実はようわかりません。単に、千日前となっています。この先に進みます。しばらく行くと千日通という通りと交差します。
千日前3
このあたりは、江戸時代には墓地やったそうです。刑場もあったそうです。写真向かって左の赤と白の建物というか外壁というか、わかります?これは、以前はお寺さんはやった。いつの間にかないようになってしもて… 処刑された人を供養するためのお寺さんやったらしいけど。
そういった関係で、ここらにはいろんな幽霊話とかがございます。明治の時代にはその墓地は阿倍野区に移され、このあたり一帯は盛り場となります。南海電車のなんば駅ができると一気ににぎやかになったそうです。それがミナミの大火いうてな、明治45年の火事で大きな被害がでて、しばらく低迷状態が続いたそうやで。な、なんかたたりくさいやろ😅
そこへ、楽天地ちゅう、ま、一大娯楽施設のようなもんを作って盛り返しを図りました。以後、このあたりには演芸の盛んな土地となります。
千日前昔
    (絵葉書より。1914年あたりの千日前。中央が楽天地)
 時がたち、第2次世界大戦後から復興に取り掛かり、やれやれと思った頃。またもや、千日前を惨事が襲います。ま、ちょうど絵葉書の楽天地のあたりに、千日前デパートという建物がありました。そ~ですね~、私が小学校低学年の頃でしたかね。ここが大火事になりましてね たくさんの方がなくなられたと思います。今はビックカメラになっていますが。その前は確かプランタンというダイエー系列の商業施設だったと思います。な❗ なんか因縁めいてるやろ😅😅
ビックカメラ
 (上から3枚目の写真の逆側です。)
ま、以前は処刑場があったり、墓地があったりというところから、かなりこのあたりは幽霊とかたたりとか伝説になってたのは確かですね。タクの運ちゃんも若い女の幽霊、乗せたことあるとか言うてましたよ。ホンマかいな😅
 それから、このあたりで特記すべきは、やはりこのあたりがピンク街であったことでしょう。上の写真の左側の写真です。現在はアムザ(大阪では有名なカプセルホテル)とか入ってる商業施設ですが、ここが昔、たしか有名なアルサロやった。
千日前逆
ツレが言うにはキャバレーサン。ワシはよう覚えてねんえけどな。ま、やっぱり70年代の話や。わしら子供やったのに、何でおまえ知ってんねん‼ とツレには言うといたけどな。ま、キャバレーサンは普通のキャバレーでしたよ。キャバレーというと、なんか女の人が横座ってくれて、おさわりとかするとこやと思てる人が多いと思います。ここで、きっちりさせとこ。それはおさわりバーとかピンサロ(ピンクサロンの略やと思います)と言われるところで、キャバレーはあくまでもお姉さんと会話を楽しむとこやで。キャバレーサンはそういうとこです。ここもCMが有名ですわ。話は前後しますが、アルサロとは普通のキャバレーを指します。アルバイトサロンの略称で、主婦が昼間アルバイト感覚で殿方の話し相手して金かせげるというとこから、アルバイトサロンという呼び名が広がったと思てんねんけどな。
 このあたりにキャバレーが多かったのは確かですね。ミス大阪とかも有名ですよね。この界隈です。一方で、おさわりバーの類もこのあたりには多かったように思います。大阪市地下鉄の千日前線がピンク色で表示されている理由にもなっているそうです。ほんまかいな😅😅 もしそれほんまやったら、役人もなかなか捨てたもんやないで。

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