今日は、かつて大阪ミナミに存在した、当時の子供たちのあこがれの飲食店の話しょうか。
道頓堀の「くいだおれ」は知ってるよな。もうのれんを下ろしはりましたけど、あの「くいだおれ太郎」で有名やった店ですわな。
「大阪名物くいだおれ」があったのは、道頓堀1丁目8-25。道頓堀の通り沿いで、現在も「くいだおれ」の名前を残した土産物店などが営業している場所です。店そのものは2008年7月に閉店しましたが、「くいだおれ太郎」はその後、かつての劇場「中座」の跡地にある「中座くいだおれビル」へ移りました。現在も道頓堀の名物として健在です。中座くいだおれビルは2025年に全面リニューアルされ、飲食店やエンターテインメント施設が入るビルになっています。つまり、「くいだおれ」という料理店はなくなっても、「くいだおれ太郎」は今も道頓堀に残っているわけですな。
ところで、よう似た趣旨の食堂で「千日堂」ちゅう店もあった。「千日前の千日堂~。甘党フアンの千日堂~。食堂百貨の千日堂へいらっしゃいませ。」やったかな。そんな歌がテレビやラジオのCMで流れてたと思います。千日堂は、その名のとおり千日前にあった総合食堂です。昭和の千日前を代表する大食堂の一つで、すっぽん料理をはじめ、すき焼き、てっちり、和食、中華、うなぎなど、いろいろな料理を扱っていました。まさに「食堂百貨」。今みたいに全国チェーンのファミリーレストランが当たり前ではなかった時代ですから、こういう「何でも食べられる大きな食堂」は、それだけで存在感があったんですな。店頭には「すっぽん太郎」という大きな人形もあり、CMソングとともに大阪人の記憶に残っています。千日堂は2001年に閉店。その後、建物は建て替えられ、現在はパチンコ店などが入る場所になっています。かつての「千日堂」の面影は、ほとんど残っていません。考えてみたら、これも「くいだおれ太郎」と同じで、店そのものよりもCMや看板、人形のほうが強烈に記憶に残っているんですな。
今一つ、「ドウトン」ちゅう食堂もあったんや。「くいだおれ」と「千日堂」は出てきても、「ドウトンってあったかな?」と言うやつもようけおってな。そういうワシも、カタカナで「ドウトン」やったか、ひらがなで「どうとん」やったか、はたまた漢字で「道頓」やったか定かでない。調べてみると、正式には**「食堂ビル・ドウトン」**。1950年代には、戎橋の南詰から2軒目、つまり道頓堀の入口に建つ大きな食堂ビルとして知られていたようです。建築家・村野藤吾が設計に関わった建物でもありました。ここのCMソングは、ごっつう印象に残ってる。「ドウトンへ行こうよ。触れ合う何かがあるから……。ほら、あのお店がど~とん」みたいな歌やった。そして、最後に子どもが、「パパ、ドウトンだね!」と言うCM。これ、覚えてる人も多いんちゃいますか。「ドウトン」は2008年に閉店しましたが、建物は現在も「コムラード・ドウトン」として残り、飲食店などが入るビルになっています。つまり、3店の中では「建物そのものが現在まで残っている」という点がちょっと面白いところです。
思えば、「くいだおれ」「千日堂」「ドウトン」は、テレビやラジオでCMをやっていて、子どものころは憧れのお店やったんですわ。少なくとも私が子どもの時分、昭和40年代とか50年代の話ですが、こういう店は「よそ行き」の店でした。今のように、家族で外食することが特別なことではない時代とは、ちょっと感覚が違います。当時の日本は戦後の復興から高度経済成長へまっしぐら。家に帰ったら「お父ちゃん」と呼ばれる人たちも、一歩外に出たら「企業戦士」。「グルメや」「レジャーや」と、今のように気軽に楽しむ余裕は、まだまだ限られていた時代です。家庭サービスなんか後回し、というお父さんも少なくなかった。そんな中で、たま~に、「外で飯でも行こか~」となったとき、「どこ行ったらええんや?」となる。ほな、デパートの大食堂へ行こか。あるいは「食堂百貨」みたいな大きな食堂へ行こか。そんな感じやったんですな。つまり、昭和のこうした大食堂は、単に「飯を食う場所」ではありませんでした。家族で出かけるちょっとしたレジャーの場所であり、子どもにとっては非日常を味わえる場所でもあった。
テレビやラジオからCMソングが流れ、店頭には太鼓を叩く人形や大きな看板がある。子どもからしたら、「いつか連れて行ってもらいたい!」と思わせるだけの力があったんでしょうな。今では、家族で外食する店も、選択肢も、いくらでもあります。スマホで店を探して、口コミを見て、予約して……。そう考えると、「くいだおれ」「千日堂」「ドウトン」のような店は、昭和の大阪人にとって、食事と娯楽、そして街のにぎわいを一緒に楽しむ場所やったのかもしれません。
ワシらが覚えているのは、料理の味だけやない。店の名前、CMソング、看板、人形、そして「家族でミナミへ出かけた」という記憶。それが、昭和の「食堂」のもう一つの役割やったんやと思います。
こんなノリは、今の日本人には通用せえへんかな。……いやいや。こういう「昭和の大阪の記憶」も、たまにはええもんですわ。
昭和の大阪を彩った「くいだおれ・千日堂・ドウトン」――あの食堂は今どうなった?
大阪文化編

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