国道2号線沿い 梅田界隈3 ー車で行こうー

車で行こう!

国道2号線沿いを行く。第3弾でございます。本日は大阪駅前第1ビル・2ビル・3ビル・4ビル(以後、大阪駅前ビルと称します。)を軽く見に行きましょう。大阪駅を起点にすれば南側になります。大阪駅前ビルは第4ビルまでございますが、国道2号線に接しているのは第1~第3ビルまでです。今や、全国標準型(私が勝手に思っている)の街に変貌した大阪駅前から北部分、茶町あたりまでとは、大阪駅前ビルの付近は雰囲気が変わります。

写真、手前から第1ビル、黒っぽい建物が第2ビル、そして一番奥の高めのビルが第3ビルです。第3ビルに沿って左に行きますと第4ビルがあります。ここは「ダイヤモンド地区」呼ばれていた地区に誕生したビルですね。ダイヤモンド地区の由来は、この再開発エリアが五角形であったことと開発地域が大阪では最も地価の高い場所であったことから名付けられたようですね。大阪駅前ビルは戦後闇市の横行した場所柄で長らく再開発はストップしていましたが、1970年4月 に第1ビルが完成、1976年11月 に第2ビルが完成、1979年9月 に第3ビルが完成。そして、1981年8月 に第4ビルが完成しています。特に第3ビルは同時西日本一の高いビルだったと思います。私ら世代では、そ~ですね、大阪駅前ビルよりはマルビルのほうが記憶にありますかね。

ここは1976年竣工ですかね。テレビ番組などでも使われたいました。梅田のランドマーク的になビルですかね。しかし、解体されているようで…大阪駅前ビルは、普通の会社、飲食店、その他の商業施設が入る、まぁ普通のビルです。もう50年ほどたつビルなので、そろそろ建替え?の話があるとかないとか。まぁ、我々世代にとっては慣れ親しんでいるので、残しておいてほしいですが。最近は昭和ブームだとか。梅田ではこの界隈が昭和の香りしますよ。残しておきましょう。
第2ビルに徳兵衛大明神という祠があります。

昔、参拝者も途絶えた祠がこの辺りにあったそな。徳兵衛という人が、この祠をきれいに修理して、毎日合唱していると、見事な祠となり、参拝者も多く来るようになったという言い伝えがあります。
大阪駅前ビルの有志一同によって祠が再現されています。

解体中のマルビルも見えますね。その左隣りは大阪ヒルトンホテルです。建物の所有者はマルビルオーナーと同族だったと思います。今は代替わりもしてるはずですが、我々が若かりしころのマルビルオーナーは吉本晴彦(梅田の大地主の家系)という方で、大阪ではドケチで有名でしたね。「大日本どケチ教教祖」を名乗っていたと思います。マルビルも解体されていますね…

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