大阪人ごひいきの歴史上の人物はと聞かれたら、真っ先に出てくるのは太閤はんこと豊臣秀吉やろな。大阪に本格的な都を置き、壮大なお城を築きはったんやから。伏見あたりから商人を大阪へ呼んで、商都としての骨組みも作ってくれはった。京都商人を住まわせたところが、今の船場です。船場言葉が京都弁にも大阪弁にも通じるところがあるのは、こういった事情からです。
さて、秀吉の死とともに大阪に危機が訪れます。ご存知、徳川家康の台頭です。結局、関ヶ原の戦いにはじまって、豊臣を滅ぼしはった。同時に、大阪人は大阪も滅ぼされたような気がして、憎っくき徳川が大阪のスローガンや。ま、プリンセストヨトミなんかがええ例です。
最近、よ~う考えます。徳川家はほんまに大阪の敵やろか?豊臣家を滅亡後、大阪は天下の台所として江戸時代に栄えます。淀屋、住友、鴻池など大阪出身のあきんどは日本の経済を支えてきた。そう考えたら、徳川家は大阪の重要性をちゃんと認識していて商都として育てたと考えてええわな。今の大阪人の誇りは商都大阪のはずやで。ここまで来たんは徳川家あってかも。
歴史にもしもは禁物ですが、関ヶ原で西軍が勝ってたら、間違いなく大阪は政治の中心となったやろな。つまり、政治、軍事の中心で武士がごろごろいる街になってたで。今の姿の大阪はなかったやろな。現代大阪人に見られる、駐車マナーの悪さ(だいぶんましになったけどな)、信号はあってないもん的な発想、「税金こんなにとられてもた!」的な表現。アンチお上の証拠です。そうです、大阪人はお上が嫌いな、日本人にはとても珍しい特性を持ってます。それもこれも、江戸時代、大阪には武士階級の人間が東西奉行所(江戸は北町・南町奉行、大阪は東町・西町奉行)にちょっとおっただけで、あとは町人ばっかの文字通りの商都やったからに違いないと思います。
ま、お上にこびないという姿勢が現代大阪人の自慢の種やん。これを大阪人のDNAに組み込んだのはだれ?わたし的には徳川家康に思えてしょうがない。こう考えたら、大阪の恩人は誰やろな?太閤はんかな?それとも家康はんかな?もちろん、他にもいっぱい恩人はおるけどな~。😜
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