解答:(エ)
解説:
江戸時代から明治のはじめにかけて大阪の町にあった七つの墓地を大阪七墓といいました。これらのお墓へ、お盆の間に、巡るというイベントがはやったようですね。主に江戸時代の話です。町人たちは陽気にこれらのお寺を巡ったらしいですよ。無縁仏などの供養として始まったようですが、江戸時代の後期には娯楽で行う人もたくさんいたとか。デートコースにもなっていたとか。
梅田、南浜、葭原 (よしはら) 、蒲生 (がもう) 、小橋( おばせ) 、飛田 (とびた) 、千日の七つ墓地です。明治時代になって、この七つの墓地は3カ所に集約されます。長柄(天満付近の淀川沿い)、天王寺(現在の阿倍野霊園)、岩崎新田(現在の大阪市西区。京セラドーム付近)。
大阪七墓で最大のものは千日墓地であったようです。現在の千日前周辺ですね。刑場もあったそうですよ。このあたりは現在は繁華街ですね。昔は、タクの運ちゃんは夜中、若い女の人が手あげても止まらんかったとか。幽霊のよく出る場所やという都市伝説がありましたねぇ。
数年前、七墓の一つ、梅田墓地から1,500以上の人骨や副葬品が出てきましてね。
大阪弁クイズ Part 2 お墓巡り? ー大阪文化ー

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