先週の続き。野田・福島界隈の第5弾でございます。先週行った野田、並びに野田阪神駅前の新橋商店街をずっと下って行くと今度はJR野田駅や地下鉄玉川駅の近辺に出て参ります。
本日はJR野田、地下鉄・玉川駅の周りを探検しましょう。
地下鉄・玉川駅の近くに野田城跡という石碑がございます。
マンションの敷地内にひっそりと建っていますんで、よう~見なわからん😅 野田城は1531年、三好元長と細川晴元の対立で三好方が築いた砦が始まりだと言われています。以後、三好氏のお城やったようですが。その後、織田信長の大坂進出で三好方が籠城するも、あえなく落城。今では遺構すらないのですが、おそらくこの辺りあっただろうということで、この石碑が建ってます。
もう少し堂島川方へ南下しますと、極楽寺、野田恵比須神社そして円満寺がございます。極楽寺は浄土真宗大谷派のお寺です。本願寺第10世証如上人が布教活動をしているときに六角氏と法華宗徒に攻撃されました。野田の門徒宗が何とか証如上人を守りましたが、21人の門徒が亡くなりました。その菩提を弔うために建てられたのが極楽寺です。
ここも野田城跡という石碑がございます。ま、野田城の正確な位置はわからないんでしょうね。
極楽寺のすぐ横に野田恵比須神社があります。神社名の名前からもわかりますよう御祭神は恵比須大神でございます。建立の時期は定かではございませんが、1113年説が強いですね。当時の地形は今と異なり「難波八十島」と呼ばれ、たくさんの島で構成されていたと考えられます。つまり、漁業が盛んであったと考えられます。恵比須様は古来漁業の神様ですから、恵比須さんをお祀りすることは納得ですね。また、やはり野田城の一角をなすと考えられるので、武士からの信仰も厚かったと考えられます。
最後に円満寺ですが、ここも先の証如上人を守るために殉死した21人の門徒をお祀りするためのお寺です。
新興宗教の浄土真宗と既存の仏教宗派の戦いがこの地で激しかったようですな。
次週はこの続きをお送りしたいと思います。
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コメント
昔から目的地への最短距離で移動していた様で、最寄り駅から職場への道筋しか浮かんできません。
お城があったんですね。
尼崎みたいに駅前なら「あぁ・・・」っとなるんですけど。
後はJRガード下の呑み屋くらいか?
約半世紀経って横着に磨きがかかって、ますます寄り道しなくなって、住む世界が狭くなってきているのを感じます。
>>1
そうなんですよ。野田にもお城があったようで。高架下のお店はだいぶんと進化してると思います。