糸へんと大阪市大正区 -大正区を行く-

 大阪の大正区ちゅうとこご存知でっか?木津川と尻無川に囲まれた、三角州やな。駅はJR大正駅と地下鉄鶴見緑地線の大正駅です。どういうわけか、この駅両方とも大正の端にあります。ちょっと行ったら西区とか港区の領域に入ります。大正区は沖縄の人がたくさん住んではって、リトル沖縄みたいになってます。そんなわけで、最近は知名度も高いですかね。

 が、しかしや、大正区がでけたのは昭和7年。その頃から沖縄の人がようさんおったわけではなかったわな。何かあったん?ドアホ‼この街こそや❗、今の日本の礎を築いた街や言うても言いすぎやないやろ👍。で、何があったんや?まぁ~、待ちぃ~な。

 文明開化のあの時代、江戸から明治へと時代が動いたあの当時を想像してみ?その当時、世界から見た日本の立場、どんなんやったやろ?ま、はっきり言うて、発展途上国やわな。100年ぐらいで、世界に冠たる経済大国になったんやから、我が国のパワーはすごいもんがあるな。その経済力の礎になるのが産業ちゅうもんです。大体の場合、発展途上国が最初に手ぇ出すもんいうたら、軽工業やわな。したがって、我が国も軽工業の代表格、繊維関係の産業が大いに発展することとなりました。

 ここまで、ええな?こっからが本題やで。明治15年に大阪紡績ちゅう会社が出現します。日本最大規模の紡績会社です。ところで、紡績て何かわかるやろな?もう現代日本人やったら知らん奴もおるんちゃうか?簡単に言うたら、繊維を糸にして服とかの素材作ることや。でや、この大阪紡績があったとこが大正区の三軒家ちゅうとこです。JR大正駅から歩いて約10分ぐらいのところにある三軒家公園内に石碑が立ってます。
大阪紡績記念碑
これ以後、大阪にはたくさんの紡績工場ができました。今では化粧品の会社と思われている、カネボウは本来、鐘ガ淵紡績ちゅう紡績の会社でしてんで~。発祥は東京の鐘ガ淵ですが、やっぱり紡績業は、大阪でやらなあかんな~ちゅうわけかどうかわかりませんが、大阪へ来て商売してはったようです。他にも、倉敷紡績・クラボウ
(ここは岡山県倉敷が発祥です。倉敷美観地区は知ってるな?大原美術館てそこにあるやろ。あれ作った人のお父さんが倉敷紡績作りはった)敷島紡績(シキボウ)大和紡績(ダイワボウ)旭化成・繊維事業部ユニチカ(もとニチボー貝塚。女子バレーボールで有名やろ。東洋の魔女ちゅうたら思い出すか?)等々 紡績や繊維関係の会社は大阪にゆかりが深い。

 何で?何でやろな~。明治維新の折、政府は大阪商人の財力にかなりたかったみたいや。『プリンセストヨトミ』でも言うてたやろ。そのくせ、首都は江戸に持って行きやがった💢。これを大阪風にはイカレコレ言います。ま、それはさておき、だいぶたかられた大阪はかなり疲弊していたので、ま、大阪を元気にする意図もあったと思います。それに、やっぱり、泉南とか河内とかは昔から繊維が盛んなとこですよ。タオル業者とか泉南には多かったように思います。ま、これにより大阪はまた元気になんねんけどな~✌。

 話もどるけど、大阪紡績は昭和6年に三重紡績と合併し、東洋紡績株式会社となります。現在の東洋紡(TOYOBO)ですわ。まさか、大阪人で東洋紡知らんちゅうようなヤツ、おらんやろな~。間違いなく、株式会社日本を牽引してきた企業のひとつやで。今では、○○紡績と名のつく会社は、紡績よりもその他の事業で稼いではると思いますが、我々が子供の頃はまだ紡績会社いうたら、なんか風格あったように思うけどな。

 日本を支えてきた業界の、いわば、先駆者的な会社が大阪紡績です。その本社工場が大阪の大正区にあったことは区民の誇りでもありましょう🤩。

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