国道2号線沿いを行く 梅田界隈4 ー車で行こう!ー

車で行こう!

現在の「車で行こう!」は国道2号線沿いを行っています。本日は梅田界隈の第4弾です。国道2号線の南側を行きます。北の新地のあたりですかね。


大阪が天下の台所と言われていた江戸時代、大阪の商売の中心地は中ノ島とか堂島やった。商談がまとまった後、「ほな、一杯飲みに行きましょか」的な場所として北新地が発展してまいりました。ここは大阪一高級なラウンジが立ち並ぶことで有名ですね。我々庶民には無縁の場所ですが、この辺りはかつて川が通っていました。蜆川、正式名・曽根崎川と言います。川村瑞賢によって河川改修が行われたときに出来ました。蜆がたくさんとれたので蜆川と呼ばれています。大火が埋め立ての原因ですが、今は埋め立てられて存在しません。当時、物流の担い手は舟。蜆川は運河という性質を持っていました。上の曽根崎川跡碑のあたりは近松門左衛門の『心中天の網島』にも登場する場所のようですよ。

桜橋跡碑です。蜆川にかかっていた橋の一つです。
新地と言えば、北新地サンドが有名ですね。おみやげにもいいですよ。

コメント

  1. 蕎麦は信州 より:

      何かで聞いたか見たか?

     記憶は定かではないですが、橋の入り口は漢字表記で出口が平仮名表記なんだとか。

     それと橋や川に濁点をつかないとか・・・。

     「しじみはし」?

     否、~川とか~橋だったはずです。

     「やまとかわ」「おりおのはし」みたいな。

     となると例の「八百八橋」の頓智はどうなんやろ。

     

  2. 蕎麦は信州 より:

      ひょっとして「はっぴゃくやはし」?

     実はきになって検索しました。

     村田英雄さんの「王将」。

     やっぱし「やばし」でした。

     でも例の頓智は封印します。

     不確かな情報ではやばいし・・・。

    • osaka_taroh より:

      まぁ、蜆橋跡の碑も「しじみはし」となっていましたからね。昔は「はし」と言ったのかもしれませんね。