恵方巻き 大阪の文化なん? -大阪を語るー

昨日は節分やったな。豆まきしたか?大体、家庭ではオヤジが鬼役になると相場は決まっとるな。なんでやんねん‼ 毎日一生懸命働いとんのにの😅 家おったら鬼ですか。
ところで、節分というと最近では恵方巻きちゅう行事がありますな。
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 こんなやっちゃ。うっとこは自家製やで。中の具は七福神にちなんだものを入れるそうですが…

なんやあれ、大阪の文化らしいな。あんなんあったか?ま、近年全国区のになったんは、どこぞのコンビニで流行らしたみたいやな。時に1995年ごろらしい。それ以前から、大阪では「幸運巻きずし」とか言うてたらしい。
なんでも、節分の日にその年の恵方(今年は南南東やそうな)に向かって、巻き寿司を丸かじりするとええことあんねんてな。ルールもあるらしいで。とにかく、無言で恵方に向かって、もくもく食べんとあかんらしいな。そうせんと御利益あれへんねんて。
こんなん大阪でやってたか?ルーツもようわからんよ。ども船場の商人の間でやってたちゅう説が、一番主流のようですが。いつごろやってはったんかな?船場商人言うぐらいやから江戸時代とかかな?また、花街(つまり遊郭)で節分の折に、ねぇさんらが恵方向いて巻き寿司食べてはったのが発祥やいう説もあります。ちょうど新香の漬物が出回る時期で、俗に言う新香巻を恵方向いて花街のおねぇさんらが食べてたらしい…
ま、この恵方巻きが大阪の文化であるにしても、ごく一部の地域で行われていたように思いますよ。そういう意味では、遊郭発祥説は可能性としては大やな。せやよって、大阪の一般家庭では流行れへんかったやろ。ま、ぼちぼち大阪人が、現在の恵方巻きちゅう行事を認知し始めたのは、1970年代になってからみたいやで。当時の海苔問屋と寿司屋が共同して、このマイナーな行事を節分のイベントとして宣伝し始めたらしい。今も昔も変わりまへんわな。なんかがはやる陰には、もちろん仕掛け人がいてはります。前述の通り、この時分は「幸運巻きずし」言われとって、道頓堀なんかで、この巻きずしの早食い競争とかやったようや。まだ、1970年代の話やで。僕なんかまだ小学生や😀
ま、こういったことがマスコミとかに取り上げられるように、徐々にまずは大阪で浸透していったんでしょう。昭和58年には、とあるコンビニチェーンが節分巻きずしてな名で販売してたらしで。その後、昭和の終わりころには、大阪でもかなり認知度は上がっていった見たいですわな。しかし、昭和58年にすでにコンビニあったんかいな😅。こら、勉強不足やな。その当時は近所の商店街なんかも遅うまで店開けてたから、コンビニなんか行く必要なかったんで、あんまり目立たんかったな。
長なってしもたけど、この恵方巻きちゅう行事が、どのような由来であれ、大阪から全国に広がったちゅうことはええことや。これからも長く続く行事なってもらいたと思いますわな👍

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