守口界隈 その3  文豪もここに! ◆京阪沿線沿いを行く◆

 本日は守口界隈の第3回目でございます。先週は文禄堤をご紹介しました。文禄堤の周りにもいくつかスポットがあります。こんなのもありました↓
大塩平八郎ゆかりの書院
大塩平八郎知ってるな?大阪の奉行所の元与力で陽明学者であった人です。大飢饉が起こったんですが、幕府や大坂奉行所はなんら対策も立てず、おまけに商人達はこの機に乗じて金儲けを企む始末。そこで、大塩平八郎が人民のために立ち上がります。これを大塩平八郎の乱と言います。日本史で習いましたな。彼はこの守口の地で私塾・洗心洞を開いており、この辺りの農家の人々に講義していたそうです。そのスポンサー的な存在が守口の白井家という豪商でこの石碑があるあたりに屋敷があり、大塩はその一画の書院で講義したようですよ。今はマクドナルドになってますが😀 
 難宗寺というお寺があります。なかなか立派なお寺ですよ。
難宗寺1
立派な太鼓楼でしょ。道標も見えます。
難宗寺 石標識
難宗寺2
難宗寺のいちょう
このいちょうの木がここのシンボルですかね。樹齢約500年とか。今頃は紅葉も始まりきれいんじゃないですかね。このお寺さんも歴史は古いです。文明7年(1475)に越前の吉崎を退出した浄土真宗の僧・蓮如上人が、文明9年(1477)に創立した守口御坊がはじまりと伝えられます。明治天皇がご滞在されたお寺でもあるんですよね。
 で、この近所に盛泉寺というお寺もあります。
盛泉寺1
門が閉まっていて中には入れませんでしたが、明治天皇が大阪にお越しになったときに、宿泊は難宗寺、内侍所はこの浄泉寺に置かれたようです。話は前後しますが、大久保利通という明治維新の功労者の一人は大阪に遷都しようと思っていたようです。そこで、明治天皇に大阪へお越しいただいたといういきさつだそうです。しかし、なんで守口?大阪市内にもっとふさわしい場所があったと思うのですが。いや😅 別に守口があかん言うてるわけではないですよ😅😅


 話変わります。司馬遼太郎とか江戸川乱歩とか知ってますよね。日本を代表する大作家ですな。両先生とも、ども、守口にゆかりがあるようで。両先生とも人生の一時期、この守口にお住まいやったそうです。
 司馬先生はあまり資料がないのですが、滝井西町あたりに住んでおられたらしいです。文禄堤の近くという話もあります。
司馬遼太郎の足跡
『梟の城』はこの守口で書かれたとか。
 江戸川乱歩先生もこの守口で住まれていたとか。結構、長いこと大阪にいたようですな。
江戸川乱居住地跡1
江戸川乱歩居住地2
『D坂の殺人事件』は明智小五郎が初めて登場する作品ですが、守口時代にできた作品なんですよね。
 こうやって見ると、守口もなかなかですな~👍 来週は守口にある商店街を歩いてみましょう。

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