四つ橋筋沿いの第8弾でございます。今日は靱公園から肥後橋あたりまで行きましょうかね。伏見呉服町の碑があります。四つ橋筋からちょっと東へ行ったところです。
名前からして京都・伏見の人が作った町ですよね。伏見出身の呉服商人の町がこのあたりにあったと言うことです。最初は伏見の呉服の商人は玉造にあたりに住んでいたらしいですが、後にその数が増え伏見町に移ったとか。伏見町は大阪では有名な町名ですが、呉服屋さんの町だったんですね。
筋違橋という橋があったようで。
このあたりに小鯛雀鮨で有名なすし萬がこの近くあって、「すし買い橋」とも呼ばれたようですね。
で肥後橋あたりに阪神高速の開通記念碑があります。
こんんあるて知らんかったやろ😀
この先には西横堀川跡の石碑があります。
周り植物に囲まれて、ほとんど石碑見えへんがな😟横堀川の開発は1600年ぐらいから始まったようです。1619年頃には、いわゆる西船場の開拓がはじまったそうや。このあたりに大阪の両替商の加島屋のお店もありました。加島屋は後に加島銀行を設立。今の大同生命につながります。今も、この地に大同生命の本社ビルがありますよね。ちょっと前、NHKの朝ドラで『朝が来た』てやってたでしょ。あれですね。
大きすぎて、地上からでは写真に収まらん😀
このあたりは梅田に近く、大阪と言っても他府県の人がイメージする大阪っぽくはないですね。やっぱ本町を越えたあたりからぼつぼつ様子が変わりますかね。
次週はもう少し肥後橋界隈をまわってみます。
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