解答:(エ)
解説:
時代は昭和初期(昭和5年とか6年とか)。日本は昭和恐慌の時代。不景気のせいでみんな貧しくてね~😢 サラ―リーマンは昼飯代もケチらんとあかん始末。大阪人のモットーがなんぼ「始末」であっても、ちとせっしょうな時代でした。そんなサラリーマン、百貨店の大食堂に行けばライスだけ注文できるちゅうことに気づきはった。ま、今でもそうですが、大概の食堂では、おつけもんとかはテーブルにある。これで、ま、結構腹もちますわちゅう具合で、お昼に百貨店でライスだけ頼みはるサラリーマンが急増。
これに、まいった言うたんは百貨店の方やったみたいです。しかし、阪急百貨店の大食堂だけは「ライスだけのお客さんを歓迎します」と言いはった。テーブルのウスターソースをライスにかけてライスだけで食事をされたようです。これをソーライスと言います。
阪急百貨店は「ここでソーライスを食べている若者もやがて結婚し、子供を産む。苦しいながらも、ライスにソースだけかけた食事をしたことも良き思い出になりましょう。その思い出とともにきっと将来、家族を連れてこの阪急百貨店大食堂で食事を楽しんでくれるだろう」との考えがあったようです。ま、阪急百貨店大食堂の偉大なる裏メニューとして、ソーライスは一躍有名に。結果、この判断が阪急百貨店の運営に大きく貢献したことは言うに及びませんな。事実、関西の経済界では「昔は阪急でソーライスよう食べたな~😀」という思い出をみな語ったようですよ。後にはつらかった思い出も、いい思い出になるんですよね~。
かくして、ご飯にウスターソースだけかけて食べるメニューは大阪で普及します。ライスだけ頼んで、テーブルに置いてあるソースただでつこてという発想な😀 このへんが、やっぱり大阪なんですよね~😅 で、また店の方もそれを認めるな👍 ここが大阪のええとこ。
その後も、このソーライスは大学生とかには親しまれていたと思います。今でも、食べる物がなかったりすると、急場しのぎでライスにソースかけて食べたりしますよね、我々の世代でも。もちろん、我々の世代では、ソーライスなんてメニューがあったことは知りませんが、ライスにソース。自然とやってる😅😅 やっぱり、大阪人とソースの間には、ただならぬ関係があるようですな😄
※本記事は2014年5月23日の記事に加筆・修正を加えたものです。オリジナルの記事は2~3日以内に削除します。
コメント
「ソーライス」はお初ですが、勤め始めた頃先輩に連れられて行った「新世界ツアー」でいきなり白飯に醤油をぶっかけてかき込むを見たときはカルチャーショックでした。
以後、安いネクタイとか替えズボンとか仕入れに行って串カツで一杯やって帰るのにはまったじきがありました。
ネクタイとかクリーニングするって知らなかったですし。
当時は今でいう「TKG」の玉子無しかと思ってましたね。
いやぁ、ウスターソースバージョンもあったのか。
血圧高めで降圧剤常用している者からすると命削るカンナですよ。
新世界のごはんおいしそうじゃないですか?串カツ食べて帰るというパターンはいつごろの話ですか?
今のような観光地になる前でしょうか?
更に記憶を掘り起こしますと、初めて「SKG(醤油かけご飯)」に驚かされたのは20台前半です。
その後も「新世界ツアー」は不定期に開催され、通天閣の足元でビリヤードやったりゲーセンで50円の「ファイナルラップ」やったりして、日の落ちるころにジャンジャン横丁がルーティンでした。
未だ皆おっかなびっくり固まって集団行動していた頃です、懐かしい。
お~、通天閣近辺が観光地化する前ですね。その当時の新世界近辺の治安はどうでしたか?