高島屋  百貨店業界・西の横綱 -大阪企業列伝-

大阪ベースの百貨店はたくさんありますな。しばらく大阪企業シリーズは百貨店に焦点をあてようかと思います。

私は住んでいた地域が大阪のミナミエリアに近かったため、百貨店と言えば高島屋でした。話は反れますが、私が子供時分は百貨店へ行くという行為自体がある種の娯楽で、親も子供も誰もがよそ行きのかっこして出かけたもんです。ま、買い物付き合うのは子供にとってはこくなんもんですが、最上階のレストランで食事して、屋上のミニ遊園地で遊ばしてもらうことが楽しみでね~。今でも、百貨店の屋上には多少遊園地ぽい乗り物があったりしますが ま、今みたいに海外旅行とか車でレジャーなんて、夢みたいな話でしたからね。百貨店へお出かけするということがその時代の最高の娯楽のひとつであったわけですわな。そういう意味では昭和の百貨店の存在意義と平成のそれとはかなり違うように思えますわな。

大阪ミナミの玄関である南海電車のなんば駅には高島屋が直結しています。高島屋の歴史は古く、最初は京都に木綿や古着を扱うお店として始まりました。屋号は高島屋です。時に1831年、天保2年のことです。江戸時代でっせ‼ 明治の文明開化の折には高島屋は百貨店と言うより貿易に力を入れていたようです。

大阪出店は明治31(1898)です。心斎橋に店舗を構えます。この店舗ではショーウインドーにマネキンを飾り、大いに話題になったようですよ。その後、大正11(1922)には当時、大阪のメインストリートであった堺筋の長堀に店舗を構えます。ここは、当時(今もです)の一等地で、界隈には松坂屋や三越もありました。このあたりから、高島屋では鉄筋コンクリートの店舗を構え、いわいる現代の百貨店の形を作っていきます。

昭和7(1932)、南海電鉄なんば駅が大きなビルに変貌するなか高島屋も難波進出です。当時は南海店と呼ばれていたみたいです。これが、現在の高島屋大阪店ですね。いわいる本社というか本店でございます。

ま、ざ~っと歴史を見てまいりました。元々は京都の会社ではございますが、途中から大阪の会社😅 ま、大大阪時代の大阪の経済力を考えれば大阪に本店を置くことがよいと判断したんでしょう。今、色々な企業が東京に本社を置きたがるのと同じですね。

しかし、まぁ~、創業以来なんと182年でございますよ。これだけ長きにわたって商いを続けられるということは、よっぽど経営手腕がいいでしょう~ね~。ま、素晴らしいことですが。

高島屋というと、「バラの包みの高島屋」ちゅうての、バラをその象徴にしてますわな。確かローズちゃんいうキャラもあったと思います。また、今でも覚えてますが、うちのオカンが私らの小学生時分のよそ行きの服、高島屋でよう用意してきよった。決まって「これピエール・カルダンやで」て言うてました。当時はピエール・カルダンてなにかようわかりませんでしたが、有名なファッションデザイナーで、要は高島屋とライセンス契約し
てたみたいですね。昭和
40年代との話ですよ😀 今ではライセンス契約とか全然普通ですが、昭和40年代とかからこんな商売あったんですね。

また、高島屋では「なんでも10銭均一」という売り場を設けてことがあっそうです。大正15年の大阪長堀店で行っていたみたいですよ。当時は不況のようでした。おや?これなんか、今の人間にも親しみがある商法ですね。俗に言う、百均ですね。そ~か、も大正の時代に、すでにこの商法をやってたか。それも高島屋やで。

高島屋は食堂もよかったように思います。これは私の知人数名にもうらとってんねん。全員一致で高島屋の最上階食堂はよかったという結論に達しています✌

ま、ショーウインドーのマネキン、10銭均一、ライセンス契約、そして食堂経営など、まさに機知に富んだ経営だと思います。180年以上も続いているわけですわな😄

今後、200年・300年とがんばっていただきたいと思います。最後に一言。大阪から出たらあかんで

株式会社 高島屋:http://www.takashimaya.co.jp/

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