茨木界隈6 茨木が生んだ戦国武将・中川清秀 ー阪急・京都線沿いを行くー

茨木市駅界隈も今日で6回目。今日は歴史の話をば一席。戦国時代、このあたりに中川清秀という武将がいたのはご存知か?あんまり聞かんか?大阪北摂の豪族です。大阪という地は、都が近いせいか、あんまり勢力のある武将が出てこない地域でもあるわな。そんでも、大阪にも実は結構ごつい武将もいてまんねん。戦国時代とはちゃいますが楠木正成はどや?大阪南部の人ですよ。高山右近は?キリシタン大名として、あまりにも有名やろ。大阪人やで。荒木村重は?織田信長に反旗を翻したので、すごい悪人のように言われてますが、一時は摂津を束ねる大名になりました。この人もおそらく大阪人。
で、今日、記事にするのが中川清秀という武将です。この人もある意味有名ですよね。茨木の人です。顔はこんな感じ↓
中川清秀肖像画
ちょっと強面のお武家さんですわ。なんか、強そうでしょ。
ちょっと清秀公のプロフィール。おそらく、今の大阪府茨木市の中河原という場所で生まれ育ったと考えられます。中河原は今の茨木市中心部とは少し離れていますが、山の近くで今でも田畑がたくさん残っています。前回、ご紹介した川端康成先生が高校生まで過ごした祖父の家も近いですよ。中河原は西国街道と亀岡街道が交わる要所やったようです。
中川清秀由緒地
中河原のあたりに石碑があります。1542年にこの地で生まれたそうです。父は中川重清といい、中川家に養子に入ったようですよ。もとは高山家の人。高山右近の高山家です。したがって、右近とは従兄弟です。
清秀公は幼名、虎之助といい、後に瀬衛兵と名乗りました。中川
瀬衛兵清秀と大阪人は呼んでします(ごく一部の大阪人😅)弟に淵衛兵という人がいます。強大でなかなかの猛者やったそうです。

コメント