茨木市駅界隈も今日で5回目。今日は歴史の話をば一席。戦国時代、このあたりに中川清秀という武将がいたのはご存知か?あんまり聞かんか?大阪北摂の豪族ですからね。大阪という地は、都が近いせいか、あんまり勢力のある武将が出てこない地域でもあるわな。そんでも、大阪にも実は結構ごつい武将もいてまんねん。戦国時代とはちゃいますが楠木正成はどや?大阪南部の人ですよ。高山右近は?キリシタン大名として、あまりにも有名やろ。大阪人やで。荒木村重は?織田信長に反旗を翻したので、すごい悪人のように言われてますが、一時は摂津を束ねる大名になりました。この人もおそらく大阪人。
で、今日、記事にするのが中川清秀という武将です。この人もある意味有名ですよね。茨木の人です。顔はこんな感じ↓
ちょっと強面のお武家さんですわ。なんか、強そうでしょ。
ちょっと清秀公のプロフィール。おそらく、今の大阪府茨木市の中河原という場所で生まれ育ったと考えられます。中河原は今の茨木市中心部とは少し離れていますが、山の近くで今でも田畑がたくさん残っています。前回、ご紹介した川端康成先生が高校生まで過ごした祖父の家も近いですよ。中河原は西国街道と亀岡街道が交わる要所やったようです。
中河原のあたりに石碑があります。1542年にこの地で生まれたそうです。父は中川重清といい、中川家に養子に入ったようですよ。もとは高山家の人。高山右近の高山家です。したがって、右近とは従兄弟です。
清秀公は幼名、虎之助といい、後に瀬衛兵と名乗りました。中川瀬衛兵清秀と大阪人は呼んでします(ごく一部の大阪人😅)弟に淵衛兵という人がいます。強大でなかなかの猛者やったそうです。
はじめ中川清秀は荒木村重と一緒に大阪の池田市に本拠を置く池田勝正に仕えていました。池田家の弱体化を機に事実上、荒木村重・中川清秀が池田家を掌握、同じく茨木を含んだ摂津に根を下ろす、茨木重朝・和田惟政連合と一戦を交えます。白井河原の戦いですね。
この戦いで敵の大将・和田惟政の首を挙げたのが中川清秀公。ケンカ強いんです👊
この戦いで、勝利を収めた荒木・中川連合軍は織田信長の知るところとなり、摂津の弱小国人とはちょっとちゃうなという扱いになっていきます。その後、織田政権下で兄貴分の荒木村重が摂津を治める大名となり、中川清秀公はその家老職になりました。荒木村重が池田城に、そして中川清秀が茨木城に入城しました。茨木城は阪急・茨木市駅の近くにありました。今は小学校です。前に書きましたね。
なかなか、この地も歴史あるやろ😀 次週はその後の中川清秀公の足跡をたどります。
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