特別企画 大阪の戦国武将  荒木村重という男

前々から、1回やってみたかってん、戦国武将・大阪編。戦国武将ちゅうと、織田の大将(織田信長)とか太閤殿下(豊臣秀吉)、たぬきおやじ、いや失礼、征夷大将軍、徳川家康、中国の雄・毛利元就に、島津義久等々有名ですわな。中でも、信長・秀吉・家康は戦国時代後半の主役。この人たちがみな今の愛知県の出であるという事実な。ちなみに現在日本を代表する企業とといえるトヨタも愛知県の出です。なんか、あの濃尾平野にはあるんちゃうのと思わざるをえませんね。
さて、我が大阪の戦国大名で思い浮かべるのは?え~っと… え~っとね😅😅😅 ちゅう感じやろ。大阪人で誰おんの?楠木正成??時代がちゃういうねん‼ ぐらい戦国時代に華々しく活躍した戦国大名は思い当たらんな。ま、ひとつは畿内というところが将軍の影響力が強い地域であったということがあげられますわな。また、本願寺が大阪に陣取ってたということもありますわな。しかも、ちょっと南に行けば、日本屈指の商業都市にして自治都市、堺もあり、なかなか戦国大名的な勢力は生まれにくかったのだと思います。
さて、そんな中でも大阪に武将と言われる人がおらんかったわけではありません。例えば、三好長慶などは足利将軍より権威を振るったこともあります。彼の居城は芥川城といって、現在の大阪府高槻市です。一説には、三好長慶は天下人に最も近い武将と言われていたということですよ。
また、北摂の池田家(現在の大阪府池田市を拠点にしていた)などは戦国大名(大名とまでは言えるかどうか?)です。勢力としては織田や毛利と相当するほどではありませんが、このあたりでは、まそこそこの家柄かと思います。その家臣団には、織田・豊臣に仕えた有力武将となった者も少なくはありません。その一人が、荒木村重という武将です。今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」でも登場しましたね。ドラマでは元は浪人で一旗あげる夢を持って信長に仕えて一国の主になりますが、結局信長を裏切り、破滅の道へ進みます。
とまぁ、大体はドラマの通りですが、荒木村重という男は浪人ではありません。元来武家の家に生まれています。天文4年(1535)のことでございます。大食漢で武士としてはなかなか立派な風貌だったようですよ。主家である池田家に奉公し重要なポストにあったようですが、織田信長につきます。信長が村重を気に入ったようですな。その後、華々しい功績をあげて摂津(現在の北大阪と兵庫県の一部)の主となります。信長の重鎮である明智光秀とも外戚関係を持つなど、織田家臣団の中でも重要な位置にいたかと考えられます。ま、この頃が村重の一番良いときかもしれません。
しかしながら、順調に見えた村重ではございますが、突然信長を裏切ります。本願寺・毛利と組んで謀反を起こします。信長は一度は許すつもりで、村重も釈明の機会を与えようとしますが、従兄弟で荒木家の家老の地位にあった中川清秀の言に従い、信長の申し出を拒否。居城の有岡城に籠城します。なかなか、立派なお城だったようですよ。土塁などの防御面が発達していて、村重の知将としての側面がうかがえます。現在は城跡があり公園となっていますが。
有岡城跡
黒田官兵衛がとらえていたのもこの城です。その後、村重は、形勢が不利になると、言い方は悪いですが、自分だけ城を脱出し、息子のいる尼崎城に向かいます。
尼崎城
その後は毛利を頼り西へ逃げることになりますね。毛利の庇護の元でじっと身を隠すことになるんですが、その間に一族郎党はほぼ皆死罪でございます。本能寺の変で信長が討たれ、秀吉の時代になると、本来茶人としても有名であったことから、豊臣秀吉に仕え、大阪に復帰します。もちろん血族のほとんどはこの世にいません。

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