安井道頓と道頓堀 

 道頓堀知ってるか?正式には道頓堀川言います。大阪はミナミの繁華街を東西に走ってる川やな。私が子供のころは、めっちゃ臭いどぶ川やったけど😡、最近はましなったで。架かってる橋で有名なんは戎橋、わしの若いころはひっかけ橋言うてましたが。今でもそう言われてんのかな。由来はもちろんナンパです。他にも相合橋(あいあうばし)とか太左衛門橋(たざえもんばし)とかございます。ま、大阪観光のメッカやろこの辺は。かに道楽とかグリコの看板とか、まさにこの界隈やし、法善寺横丁なんかも近所です。

太左衛門橋2
太左衛門橋と道頓堀川
法善寺1
法善寺横丁の一部

今日は道頓堀川の話しましょ。まず、ネーミングからや。「道頓」てなんなん?なんかお坊さんの名前みたい。安井成安ちゅう人が昔おりました。剃髪して「道頓」と名乗ったそうです。どの時代や言われてら、太閤はんの時代かな。安井道頓は、太閤はんが大阪城を築城するとき、かなり築城に貢献したようです。そのご褒美として大阪城の南側に領地をいただくことになりました。拝領した領地を繁栄させるためには、水路の確保が必要と感じた道頓は、太閤殿下の許可を得て道頓堀の掘削を開始。出来上がれば、大坂城の外堀から木津川への水路が確保できます。そのまま大阪湾に出れますからね。かなり、便利になるもんで、地元の旦那衆はぼ~んと資金出し合いはったらしいで。な、大阪商人セコないやろ👍。出すときは出しまんねん‼。

 ところがや、長い工事の過程で、誤算が 大坂の陣です。昨日話した淀屋とはちごて、道頓は大坂方についた。結果、道頓は戦士。道頓堀の完成を見ずにあの世に行ってしもた。その後、彼の従兄弟などの手で1615年に道頓堀は完成します。時は徳川の世になっていましたが、大坂城城主の松平忠明は道頓の功績を評価し、この堀を道頓堀と名付けたそうやで。昨日の淀屋の記事でもでてきたな、徳川や。松平はかなり徳川家自体に近い家柄ですから、徳川と言うてええやろ。な、徳川かなり大坂に貢献しとるやろ😀。
 ま、道頓は淀屋の初代と大体、同じ時代を生きた人やわな。大坂の陣で淀屋は徳川に、道頓は豊臣に味方した。なんか因縁めいてると思えへん?
あ、そうそう。最近、おもろいもん手に入れてん。現在の道頓堀界隈はいろんなとこで見れるけど、これはどや?

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