本日は四条畷の歴史についてちょっとお話。大阪人にとっても歴史的に四條畷に何がんねんと言われるとあんまりピンときません。楠木軍と幕府軍の四条畷の戦いは有名ですが… あとは歴史とは関係ないですが、角淳一(もとMBSアナウンサー)が住んでるとか、桂南光師匠も住んでる。大阪有数の進学校、四条畷高校があるとかぐらいですかね。
ということで、簡単ではありますが、今日は四条畷の歴史について勉強しましょう。四条畷には歴史民俗資料館がございまして、ここに行けば大まかな歴史についてはわかるかと。
ここの職員さんが強調しはったのはこの地が馬飼の土地であるということですね。
5世紀以降、生駒山麓で馬を飼育していたらしいですよ。馬は応神天皇の頃に朝鮮半島から送られたのが始まりですね。渡来人の指導のもとで行われてと考えられます。この周りで古墳がいくつも発見されていますが、馬飼いの人のお墓と考えていいでしょう。馬飼いは結構大きな組織を形成していて、政治にも影響力があったそうですよ。
変わって、戦国時代。織田信長や豊臣秀吉よりちょっと前。今の大阪府は大体が三好一族の支配下やった。特に三好で有名なのは三好長慶。以前、高槻特集したときに触れましたよね。三好長慶は今の大阪府下をほぼ支配する大大名やったんですよ。あんまり、日本史の教科書には出てきませんが。
彼が残した遺産の一つにキリスト教があります。進んでキリシタンを保護し広めることを許可したのだそうで。この四条畷の砂、岡山という所もキリシタンがたくさんいたようで。秀吉がバテレン追放令を出すまでの20年ほどの間と言われますが、しかしあんまり顕著な史跡などはみな半信半疑でした。
が、2002年に将棋の駒のような石碑が見つかりました。調べてみると四条畷のお城のひとつ、田原城の城主・田原レイマンのものらしい。もちろん、キリシタンです。
日本最古のキリシタンの墓碑らしいですよ。世界的にも価値があるようで。これで四条畷にキリシタンの里があったことは間違いありませんね。
現代においては、高度経済成長期には片町線の複線化などもあり急速に都市化が進み現在に至るやそうです。歴史好きには結構、面白い場所かもしれませんよ。
四條畷界隈 3 今日は四条畷の歴史について ーJR片町線沿いを行くー
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