茨木界隈7 茨木が生んだ戦国武将・中川清秀 その2 ー阪急・京都線沿いを行くー

さて、先週の続きです。茨木が生んだ戦国武将でございます。前回は、白井河原の戦いで、宿敵・和田惟政の首を獲るという快挙をなした中川清秀公。出仕していた池田家のおひざ元に領地を賜ります。池田家中においては荒木村重に次いで、実質No.2でございましょう。そうそう、打ち取られた和田惟政の供養塔というものが、茨木市にはございます。
和田惟政供養塔
和田惟政氏も茨木を支えた人物ですからね。
さて、織田信長の統治下で清秀公の兄貴分の荒木村重が摂津一国を任される大名となり、荒木村重が池田城に、そして中川清秀が茨木城の入ります。しかしながら、荒木村重突然の謀反😅 ども、本願寺攻め(現在の大阪城のある地はもともと本願寺、つまり浄土真宗の聖地でございます。この大阪の地をほしい織田信長は長きにわたり本願寺勢力と戦うことになりました)で、中川清秀公の部下が本願寺側に兵糧などの物資を横流😅😅😅 この件につき、織田信長に釈明しようと安土城に行途中に、やっぱや~めた的に謀反になったようです。

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